大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京地方裁判所 平成4年(ワ)6605号 判決 1999年2月26日

原告

上田未知子

ほか一名

被告

野坂道子

ほか一名

主文

一  被告らは、連帯して、原告上田未知子に対し、金六九〇三万一三一七円及びこれに対する平成二年四月二二日から完済に至るまで年五パーセントの割合による金員を支払え。

二  被告野坂道子は、原告上田未知子に対し、金二万八〇〇〇円及びこれに対する平成二年四月二二日から完済に至るまで年五パーセントの割合による金員を支払え。

三  被告らは、連帯して、原告上田高子に対し、金一一〇万円及びこれに対する平成二年四月二二日から完済に至るまで年五パーセントの割合による金員を支払え。

四  原告らのその余の請求をいずれも棄却する。

五  訴訟費用は、これを四分し、その一を被告らの負担とし、その余を原告らの負担とする。

六  この判決は、第一項ないし第三項に限り仮に執行することができる。

事実及び理由

第一請求

一  被告らは、連帯して、原告上田未知子に対し、金二億八七六九万七二八九円及びこれに対する平成二年四月二二日から完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

二  被告らは、連帯して、原告上田高子に対し、金五五〇万円及びこれに対する平成二年四月二二日から完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

第二事案の概要

本件は、以下に述べる交通事故につき、原告らが、被告野坂道子に対しては民法七〇九条に基づき、被告野坂末子に対しては自動車損害賠償保障法(以下、「自賠法」という。)三条に基づき、それぞれ損害賠償を求めた事案である。

一  前提となる事実

(争いのない事実のほか、原告の主張を中心に事案の概要を示すことにするが、必ずしも当事者間に争いのない事実ではない。争いのある点はその旨記載し、以下において争点として判断する。)

1  交通事故(以下、「本件事故」という。)の発生(甲第五一号証等)

(一) 日時 平成二年四月二二日午前一一時一〇分ころ

(二) 場所 埼玉県秩父郡長瀞町大字長瀞五五四番地の五付近路上(以下、「本件現場」という。)

(三) 加害者 普通乗用自動車(熊谷五七は二六五六、以下、「加害車両」という。)を運転していた被告野坂道子(以下、「被告野坂」という。)

(四) 被害者 自動二輸車(一品川と五八四〇、以下、「被害車両」という。)に乗車していた原告上田未知子(以下、「原告上田」という。)

(五) 態様 原告上田が国道一四〇号線上の本件現場付近を寄居方面から秩父盆地方面に向けて進行中、前を走行していた車両が急停車したため、これに衝突しないように停車しようとしたところ、ハンドルを制御できず右側に転倒し、原告上田の上半身が反対車線に出てしまい、折から反対車線を走行してきた被告野坂運転の加害車両に衝突された(この点は当事者間に争いがある。)。

2  責任(この点も当事者間に争いがある。)

被告野坂は、自動車運転者として、運転中前方を注視し、進路前方に転倒者等がいるときは、速やかに発見して、ブレーキ操作・ハンドル操作等により転倒者との衝突を回避すべき注意義務があるのにこれを怠り、ブレーキ操作・ハンドル操作をしなかったかまたは不十分であったため、加害車両を原告上田に衝突させたもので、民法七〇九条により、原告らの損害を賠償すべき義務がある。

被告野坂末子(以下、「被告末子」という。)は、加害車両の保有者であり、加害車両を自己のために運行の用に供したものといえるから、自賠法三条により、原告らの本件事故による損害(物損を除く)を賠償すべき義務がある。

3  傷害結果

右事故により、原告上田は、頭部外傷、頸髄損傷の傷害を負い、治療後も四肢完全麻痺、膀胱直腸障害、会話不良の後遺障害が残存し(症状固定日平成三年五月二二日)、日常生活全般にわたり介助が必要な状態である(甲第一号証)。

4  原告らの主張する損害額

(一) 原告上田

原告上田は、訴変更申立書において請求の趣旨を変更しているが、その後も損害額を増額して主張しているものがあるので、各損害額を合算した金額が請求の趣旨に示されている金額と同一にはならない。

<1> 治療費 金一五七万三三八〇円

<2> 転院等移送費 金三一万五七五〇円

<3> 介護器材等費用 金一四万九九五六円

<4> 入院治療中の付添費 金二一七万八〇〇〇円

<5> 付添人交通費 金四三万二六八〇円

<6> 診断書作成費用 金一万七五二〇円

<7> 入院雑費 金五一万四八〇〇円

<8> 休業損害 金三八七万六六七七円

<9> 傷害慰謝料 金二九八万円

<10> 後遺障害逸失利益 金七四九三万〇〇〇四円

<11> 後遺障害慰謝料 金二四〇〇万円

<12> 後遺障害用介護器材等費用 金五一八万一五〇六円

<13> 将来の介護器具等交換費用 金一〇四三万五四九七円

<14> 介護料 金二〇五万三〇〇〇円

<15> 将来の介護料 金一億四一六五万三二一五円

<16> 家屋改修費用 金一二一二万九七一〇円

<17> 物損 金二五万円

<18> 弁護士費用 金一〇〇〇万円

<19> 控除額 金四四九万〇六九六円

以上の総額から、医療費還付、介護器材の公費負担等による既払額四四九万〇六九六円を控除する。

(二) 原告高子

<1> 慰謝料 金五〇〇万円

<2> 弁護士費用 金五〇万円

二  争点

1  被告野坂の運転行為と原告上田の受傷との因果関係

被告らは、加害車両と原告上田との衝突を否認し、仮に衝突したとしても、それは軽い接触程度のものであり、原告上田の受傷が原告上田自身が転倒した際の負傷か、加害車両との接触によるものかは不明であり、原告上田の受傷が本件事故によるものとは言えないと主張している(被告ら最終準備書面等)。

2  被告野坂の責任の有無

原告らは、被告野坂が急ブレーキを掛ければ衝突前に停止できたし、左にハンドルを切れば原告上田との接触を回避することは可能であったとして、被告上田の前方不注視及び安全運転義務違反(ブレーキの遅れ及びハンドル操作の不適)を主張している(原告らの一九九四年三月一八日付け準備書面)。

被告らは、仮に加害車両と原告上田が衝突していたとしても、それは、原告上田が転倒し始めて地面に接する以前に、加害車両の右前輪と原告上田の頭部が接触し、中空に浮いているところをステップモールと再度接触したものであり、しかも、原告上田がセンターラインを越えて反対車線に倒れ込んできた際に、原告上田と加害車両の距離は約一〇メートルしか存在せず、右距離では原告上田との接触を回避することは不可能であるから、被告野坂に過失はない。さらに、原告上田が転倒後に加害車両と接触したとしても、被告野坂が衝突の危険を感じたのは衝突地点のわずか九・五メートル手前であり、時速約四二キロメートルで走行していた加害車両は停止することはできなかったから、被告野坂に過失はないと、被告野坂の責任を否定している(準備書面四等)。

なお、被告末子の責任は自賠法三条に基づく責任であるところ、この免責についての被告側の主張は必ずしも明確ではないが、自賠法三条ただし書の免責の主張(原告上田の転倒という過失を主体とした)をなしているものと解することができる。

3  過失相殺の有無、あるとすればその程度

本件は、原告らが主張するように原告上田の傷害が加害車両との衝突によってもたらされたものであるとしても、原告上田が少なくとも頭部がセンターラインを越えて反対車線に出ていたことは当事者間に争いがなく、その点で、被告らは、予備的に九〇パーセントの過失相殺を主張している(平成五年七月一二日付け準備書面一)。

これに対し、原告らは、原告上田が転倒してしばらく横たわっていたところに加害車両が衝突した事案であるから、過失相殺については単車と四輪車で単車側がセンターラインをオーバーした類型ではなく、むしろ路上横臥者と車両の衝突の類型と見るべきであり、昼間であることを考慮すると、過失相殺の割合は二〇パーセントであると主張している(一九九七年一二月二四日付け準備書面、ただし、「準備書面」との記載はない。)

4  各損害額

各損害額については、判断に必要な限度で主張をも摘示することとする。

第三当裁判所の判断

一  争点1、2及び3について

1  争点2及び3が、本件の事故態様を検討することにより判断されるべき事柄であることは明らかであるが、本件の場合、争点1の因果関係の点も、被告らの主張をもふまえれば事故態様の検討により結論が明確になるものである。

したがって、具体的な事故態様を検討することにより、これらの争点を順次判断することとする。

2  原告上田自身は本件事故の記憶がないので、原告上田とともにツーリングを行っており、事故当時原告上田の直後を走行していた訴外宇田川聰(以下、「宇田川」という。)及び被告野坂の供述等を中心に検討することとなる。

宇田川の法廷における供述の要旨は以下のようなものである(第一六回口頭弁論)。

原告上田は、同じツーリングを行っていた訴外川村収(以下、「川村」という)のオートバイに迫従して走行していたところ、川村車が停止したので、自車も停止させようと減速し、止まるか止まらないか位の低速になった際にバランスを崩して、真横にパタンと倒れるような感じで右側に倒れた。原告上田は、上半身(肩口から上の部分あたり)が反対車線に出ているような形で倒れており、そのまま倒れていたので「早く起きろよ。」などと言っていたところ、加害車両が接近してきて、原告上田は加害車両の右前輪に腕から頭部、上肢も車体に巻き込まれてはじき出された。

原告上田が転倒した後、宇田川が加害車両を発見したときは、加害車両が原告上田のところまで来るのにまだ時間も距離も十分あって危険が迫っているという感じを持たなかった。

これに対し、被告らは、まず、原告上田の転倒直前の被害車両の速度が宇田川の言うような低速ではなく時速約九ないし一一キロメートルであったし、原告上田の転倒地点と接触地点が実況見分調書上一・六メートルも離れている(甲第五二号証の二)から、原告上田は被害車両から放り出されて離れていくような状態であったと主張している。また、宇田川の実況見分の際の指示説明が、事故直後は、原告上田が転倒した地点と宇田川が停止した時点での加害車両の距離は約五・四メートルとしているのに(甲第五二号証の二)、その後の実況見分(平成三年一月一八日実施)ではこれと大きく異なっている(甲第五二号証の六では、宇田川が停止した時点で、転倒していた原告上田と加害車両との距離は約一六メートルということになっている。)こと、その供述変更の理由が合理的でないことをあげて、平成三年一月一八日以後の宇田川の供述は信用できないとしている。

3  一方、被告野坂は、本件について次のとおり状況を説明している(第一七回口頭弁論、乙第一号証)。

被告野坂は、反対車線の前方に原告上田を含む三台のオートバイを発見したが、その時は原告上田は転倒しておらず、その後見たときは原告上田が転倒して地面に着く直前でセンターラインを越えないときに加害車両の車線に来るのではないかと考え一回ブレーキを踏み、原告上田が転がりながら倒れ込んできてセンターラインを越えてきそうだというときに二回目のブレーキを踏むと同時に、ハンドルを左に切った。それとほぼ同時にゴツンゴツンと二回の衝撃を感じた。原告上田と加害車両とが接触して事故になったかどうかははっきりしない。

また、原告上田が転倒して地面に着く直前を見たときにはまだ危険は感じておらず、ブレーキは二回とも強く踏んだが、本当の意味での急ブレーキではなかったとも説明している。

実況見分時の指示説明に関しては、事故直後に説明したもの(甲第五二号証の五。これによると、原告上田が倒れ込んできたのに気付いたのは、原告上田と加害車両が約九・五メートルまで接近した後である。)が正しく、その後平成二年一二月四日に実施した実況見分(甲第五二号証の五)では、警察署の署長や検察官が乗り込んで実況見分をしたために恐さや緊張が激しく、早くその場から逃れるために警察官の言うままに答えた結果、不正確な調書が出来上がったと主張している。

4  ところで、原告上田の負った頸椎の損傷は、第五頸椎及び第六頸椎の骨折、それも粉砕骨折に相当するものであり、これは頸椎の過屈曲、圧迫によって生じるものとされている。すなわち、屈曲のために脊椎前方部(椎体)に力が加わり、軸方向の圧迫により椎体が骨折をきたして多数の小骨片に粉砕されたというのである(甲第八八号証)。

このような損傷は相当大きな外力の作用を推認させるもので、自ら転倒しただけでこのような損傷が生じるとは考え難い。まして、被害車両は、停止寸前であったかどうかは争いがあるものの、基本的には停止しようとして減速し停止間際にあったことは当事者間で争いのない事実といってもよい事柄であり、そのような速度で転倒した程度でこのような粉砕骨折が生じるとは考え難い。原告上田が本件事故当時着用していたヘルメットにはかなりの損傷があり(甲第八二号証の一ないし一二)、原告上田の脳にも大きな外力(圧迫または衝撃のような力)が急激に作用し、脳全体が急激に変形したものと推定されることも併せ考慮すれば、原告上田は、自ら転倒後、加害車両との衝突により頭部及び頸部に大きな外力が働き、その結果、脳の変形、第五及び第六頸椎の粉砕骨折が生じ、右の損傷が脳及び四肢体幹に対する重篤な機能障害をもたらしたものと認めることができる(以上につき甲第八三号証の二等)。

したがって、原告上田と加害車両の衝突は明らかであり、原告上田が自ら転倒したことにより多少の外傷を負ったことは考えられるものの、本件で問題となっている重篤な後遺障害をもたらしたのは、加害車両と原告上田との衝突であるから、被告野坂の行為と原告上田の受傷及び後遺障害とは因果関係があることは明らかである

5  次に被告らは、原告上田の頭部が地面に接触する以前に、加害車両の前輪と接触したと主張しているので、右主張を検討する。

被告らの右主張の根拠は、乙第五号証(菅原長一作成の鑑定書)や同人に対する証人尋問の結果であろう。

前述のように、原告上田の頸部の損傷は過屈曲、圧迫によって生じたものと考えられるのであり、これは医学的・専門的な見地からの考察である(甲第八八号証)。逆に、頭部が回転して頸椎が損傷される場合、屈曲回旋損傷の場合は椎間板破裂、後縦靭帯断裂、椎間関節包断裂をきたし、一側性椎間関節脱臼をきたすことが多く、伸展回旋損傷の場合は側方要素への損傷を生じ外側塊、上下関節突起部分の骨折をきたすことが多いとされるが、原告上田の場合にはそれが見られない。

菅原鑑定は、原告上田の頸部の損傷が回旋により生じたものであるとして、いわばこれを前提に事故態様を解析しているが、菅原証人自身医学が専門ではないことを認めており(機械屋と称している)、結論について十分納得できる医学的な根拠を示している訳ではない(特に二四回口頭弁論)。菅原鑑定は、誤った認識をもとに考察を進めているもので、信用性に多大な疑問がある上、そもそも、菅原鑑定の結論は、目撃者である宇田川や訴外関和芳彦が、原告上田が転倒して路上に倒れている状態を見ている(甲第五二号証の六)という証拠ともまったく食い違っており、結論自体からみても信用性に多大な疑問がある。

したがって、被告らの右主張を採用することはできない。

6  被告野坂の過失の有無について検討する。

(一) 今までの検討により、原告上田が転倒した状熊でいるところへ加害車両が走行してきて衝突した(衝突の部位は、原告上田が自己の走行車線から上半身特に頭部をセンターラインをはみ出した形で倒れていたこと、原告上田の受傷は頭部と頸部のものが重傷であること等からみて、加害車両の右前輪と原告上田の頭部から頸部にかけてが衝突したものと推認される。)ものと認められる。

(二) 問題は、第一に、被告野坂がいつの時点で原告上田が転倒している(転倒しつつある状態も含めて)のに気付く状態であったかという認識可能な時期と、その時の原告上田と加害車両の位置関係、第二に被告野坂がとった事故回避行動が適切であったかどうかである。

この点では、前記のように宇田川と被告野坂の供述は相当食い違っているし、実況見分の指示説明も、一回目と二回目で両者とも食い違っている。

(三) そこで、両者の供述をさらに検討する。

宇田川は、被害車両の後ろを迫従していたもので、原告上田が転倒を開始した時点から本件事故に遭うまでを一貫して観察しており、観察していた位置や原告上田がツーリング仲間であることから関心をもって観察していたと考えられることから、本来、宇田川の供述は高い証拠価値を有する。

ただし、原告上田が転倒した時点での加害車両の位置については、法廷での供述は停止するのに十分な距離と時間があったとしているのに対し、事故直後の実況見分時には衝突地点と加害車両の距離は約五・四メートル、その後行われた実況見分では、原告上田が転倒した後、衝突地点から約一六メートルの距離に加害車両を発見したと、供述は変遷している。

宇田川の感覚としては、原告上田が転倒した時点で、加害車両が停止したり進路変更したりするのが容易である距離か困難な距離かの違いであろうが、このように分けると、事故直後の実況見分時の指示説明だけが困難な場合を示しているのに対し、その余は容易な場合を示していると理解できる。

この点で、平成三年一月一八日実施の実況見分の際のもう一人の立会人である訴外関和芳彦(以下、「訴外関和」という。)の指示説明は重要な意味を有するものと考えられる。

訴外関和は、本件事故当時、原告上田を含む三人のツーリング中のオートバイの後方を走行していた普通乗用自動車の運転者と思料されるところ、原告上田が転倒して頭部がセンターラインを越えたところにはみ出して止まった時点よりも後に、加害車両を衝突地点から約一一・九メートル離れた地点に認めたとしている。宇田川よりも訴外関和の方が、加害車両からより遠くにいたのであるから、宇田川よりも加害車両の発見が遅れたとしても矛盾はない。したがって、訴外関和の右指示説明は、右実況見分時の宇田川の指示説明と符合するものと評価できる(なお、訴外関和は、加害車両がハンドルを切ったので原告上田と衝突しないで済んだとの認識を有しており、この点で宇田川とは決定的に異なっているから、訴外関和が宇田川の指示説明に大きく影響を受けているとは言い難い。)。

(四) 被告野坂の供述要旨は前述したとおりであるが、被告野坂の供述には、被告野坂が原告上田の転倒を認識し、危険を感じたという局面に関して、次のような疑問がある。

まず、原告上田が転倒を開始してから完全に路面に倒れ込むまでは一連の動作であり、被告野坂が、原告上田の転倒・着地寸前の姿を見ていることからすれば、この時点で特に危険を感じなかったというのは不自然である。すなわち、オートバイが転倒をしているのを見れば、その運転者が転倒した方向に多かれ少なかれ投げ出されることになるのであり、原告上田のオートバイは、被告野坂の反対車線ではあっても中央寄りを走行していた(宇田川供述、甲第五二号証の二の交通事故現場見取図)のであるから、センターラインを越えて来るのではないかという不安は生じて然るべきである。被告野坂の供述、特に乙第一号証によれば、原告上田が転倒してから被告野坂が危険を感じるまでにはそれなりの時間があり、その間の被告野坂の心の動きまでが描かれている。これが事実であるとすれば、被告野坂が原告上田の転倒を最初に目撃したときの原告上田と加害車両の距離は、甲第五二号証の二で「相手の人が私の前に倒れ込んできたのに気付いた」地点と相手のいた地点との距離として説明されている九・五メートルということは考えられず、もつと距離が長かったものとならざるを得ない(右の九・五メートルというのは、被告野坂自身が主観的に危険を感じた地点と原告上田の距離を示したものと理解することが可能である。)。

また、被告野坂は、原告上田が転倒する前の時点で、原告上田のものを含む反対車線上の三台のオートバイを目撃しているのであるから、原告上田側の車線が渋滞していた等の理由から見通しが悪く、被害車両を直前になるまで視認できなかったというような状態ではなかったものと認められる。したがって、被告野坂が次に見たのが原告上田が正に転倒する瞬間であるというのは、最初に三台のオートバイを目撃してからそれまでの間、被害車両を含む三台のオートバイの動静を注視していなかったことを物語るものと評価せざるを得なり。

(五) 以上のように本件事故を目撃している者の供述を比較検討すると、転倒し反対車線に身体の一部がはみ出している状熊の原告上田を、被告野坂の車線から視認可能な地点は、宇田川及び訴外関和の実況見分時の指示説明を基準に考えるべきであり、少なくとも訴外関和の示した約一一・九メートルを基準に考えるべきであろう。正確には、訴外関和が甲第五二号証の六の交通事故現場見取図で<2>から<3>へ二・三メートル移動する間に加害車両が進行する距離を加えなければならないが、訴外関和車両の速度が明確ではなく具体的な距離を明らかにすることは困難である。しかし、あえて言えば、訴外関和は特に急ブレーキをかけたというのではなく通常の停止だったと認められるから、少なくとも、急ブレーキをかけた場合の制動距離を参考に訴外関和車両の速度が時速二〇キロメートル以下であったことは明らかである(乾燥した舗装道路において、時速二〇キロメートルで急制動をかけた場合の制動距離は、摩擦係数として〇・七を用いて二・二メートルである。)。概算として、二・三メートルを時速二〇キロメートルで走行すれば約〇・四秒かかり、加害車両は時速約五〇キロメートルで走行し、被告野坂の供述によれば、被告野坂がその段階ではブレーキをかけたことはないのであるから、〇・四秒の間に加害車両は約五・五メートル進行することになる。したがって、少なくとも一一・九メートルに五・五メートルを加えた約一七・四メートル手前で、被告野坂は転倒していた原告上田を視認可能であったと考えてもよい。

そして、原告上田は、センターラインを越えて横たわっていたものの、はみ出していた部分はわずかであり、甲第五二号証の二の現場見取図によれば、車道幅員は約五・八メートル、衝突地点から被告野坂の車線の路側まで約二・二メートルの距離があったのであるから、原告上田は約七〇センチメートルセンターラインを越えていたにすぎず、被告野坂が転倒していた原告上田を視認することが可能になった地点において、急ブレーキを掛け、ハンドルを左に切れば十分衝突を避けることができたものと認められる。

すなわち、事故現場の道路はアスファルト舗装されており、路面は乾燥していた(甲第五二号証の二)ところ、加害車両が時速約五〇キロメートルで走行していたとすると(乙第一号証)、衝突前に停止できたか疑問があるが(反応時間〇・七五秒、摩擦係数〇・七として計算すると、空走距離約一〇・四メートル、制動距離約一四・一メートルとなる。)、ハンドル操作による進路変更は、少なくとも約一七・四メートル進行するうちに、最大でも約七〇センチメートル進路変更できれば事故は回避できたし、約七〇センチメートル左に寄ったとしても、路側までまだ二メートル以上あるのであるから、被告野坂運転車両が普通乗用車であることをも考慮すれば、自らの車両を自己の走行車線内に保ったまま事故を回避することは十分可能であったと認められる。

(六) この点を、被告野坂の供述をある程度前提にして考えてみても、被告野坂に過失があったことが推論される。

すなわち、被告野坂は、転倒している原告上田を最初に見た段階で危険はさして感じていないし、その後の二回のブレーキも強くは踏んだが、本当の意味での急ブレーキを掛けた訳ではないと自認している(路面にもブレーキ痕は存在しない。甲第五二号証の二)。原告上田の転倒を見た最初の段階から、原告上田が転倒により、転倒した方向へ投げ出される危険性を認識すべきであったし、その段階でブレーキを掛け、ハンドルを左に切れば、本件事故は回避できたものと認められる。なぜならば、実際の事故においても、もう少し加害車両が左側を走行していれば衝突を避けられたものと認められるからである。具体的には、被告野坂自身は「事故にならなかった」と安心した(乙第一号証)というのであり、訴外関和も、加害車両がハンドルを左に切ったので原告上田との衝突を避けられたと思ったというのである(甲第五二号証の六)。また、原告上田の負傷部位から見ても、原告上田の頭部あるいは頸部位までが加害車両の右前輪に衝突したものと考えられ、これらを総合すれば、あと三〇ないし四〇センチメートル加害車両が左側を走行していたら接触はしなくて済んだと考えられるのである。

(七) 以上により、被告野坂には、少なくとも、原告上田の転倒を視認可能となった地点で、センターラインを越えて横たわっている原告上田と衝突を避けるために、ブレーキを掛け、ハンドルを左に切るべきであったのに、その時期が遅れたことにより本件事故を惹起したという過失責任が肯定される。

7  過失相殺について

(一) 原告上田は、自分のオートバイの操縦ミスにより転倒し、その結果センターラインを一部越えて倒れていたところで事故に遭っていることから、本件において過失相殺の適用があるのは当然である。

(二) 原告らは、過失相殺につき、原告上田が路上に転倒した状態でいたことを強調し、路上横臥者を車両が轢いた場合と同様に考えるべきであると主張している。

しかし、路上横臥者の場合は、車両運転者が視認できるようになった最初の段階から路上に静止しているので、発見及び回避が容易な場合が多いのに反し、本件事故の場合は、反対車線から被告野坂の走行車線に進入してきたという動きがあり、反対車線から進入してくる者を予期することは一般的には困難かつ期待できないことであろう。したがって、本件の場合、転倒して静止している状況のみを捉えて、これを路上横臥者と同視することはできない。

(三) 車両は本来自己の走行車線を進行すべきは当然であり、反対車線に出ること自体が極めて重大な落ち度である。そして、このことは車両自体はセンターラインを越えていないが運転者が越えてしまったときも、基本的には妥当する。なぜなら、対向車線の車両運転者が自己の走行車線に出てくることは、予見できない点では車両自体が越えてくる場合と同様だからである。

しかし、他面、本件事故現場がほぼ直線の道路で見通しがよいこと(甲第五二号証の二)、被害車両の転倒直前の速度は、被告らの主張によっても時速約九ないし一一キロメートルという低速で、しかも運転者だけがセンターラインをオーバーしたという点から見て、原告上田が倒れて反対車線に入り込んだときの速度は、相当低速であったと考えられること、原告上田が反対車線に進入した幅はせいぜい約七〇センチメートル程度であり、反対車線を塞ぐような状態で原告上田が路上に転倒していた訳ではないこと、さらには、前述したように、被告野坂においても、もう少し早く危険を察知してハンドルを左に切るという簡単な措置で十分回避できた事故であること、被告野坂が実際にとった事故回避措置のうち、ブレーキは急ブレーキとは認めがたいこと等の事情を認定できる本件にあっては、過失相殺の割合は六五パーセントと解するのが相当である。

二  争点4について

前記のとおり、本件は損害額も争点となっているので、各損害額ごとに、必要な限度で当事者の主張を簡潔に示しつつ、当裁判所の判断を示すこととする。

なお、結論を明示するために、各損害ごとに裁判所の認定額を冒頭に記載し、併せて括弧内に原告の請求額を記載する。

1  原告上田

<1> 治療費 金一五七万三三八〇円(原告の請求どおり)

本件事故後金子病院、埼玉医科大学総合医療センター等に入院して治療を受けた際に要した費用である(詳細は別表一参照、甲第二号証ないし第一六号証)。

<2> 転院等移送費 金三一万五七五〇円

(原告の請求どおり)

埼玉大学総合医療センターから国立立川病院、国立立川病院から小平病院等と医療機関を移動するのに要した費用である(詳細は別表一参照、甲第一七号証ないし第二三号証及び弁論の全趣旨)。

<3> 介護器材等費用 金一四万九九五六円

(原告の請求どおり)

詳細は別表二参照(甲第二六ないし第三五号証)。

<4> 入院治療中の付添費 金一七八万二〇〇〇円

(金二一七万八〇〇〇円)

原告上田の負った傷害は重篤なもの(一時は危篤状態、一命をとりとめた後も四肢、体幹機能障害等が残った。)で、事故日の平成二年四月二二日から症状固定日の同三年五月二二日までの三九六日間、母親である原告高子の介護が必要であった(原告高子)。

原告上田は、一日の付添費を五五〇〇円として、合計二一七万八〇〇〇円を請求しているが、入院していた時期が平成二年から三年にかけてであることを考慮し、一日あたり四五〇〇円と認めるのが相当であるから、合計一七八万二〇〇〇円となる。

<5> 付添人交通費 金四三万二六八〇円

(原告の請求どおり)

詳細は別表二参照(甲第二四号証、第二五号証及び原告高子)。

<6> 診断書作成費用 認定額なし(金一万七五二〇円)

<1>の治療費に含まれるもの以外に、これを認めるに適切な証拠がない。

<7> 入院雑費 金四七万五二〇〇円

(金五一万四八〇〇円)

入院中の雑費は、入院していた時期が平成二年から三年にかけてであるから、一日一二〇〇円として算定するのが相当であり、三九六日分で四七万五二〇〇円となる。

<8> 休業損害 金三〇二万三〇五三円

(金三八七万六六七七円)

原告上田は、事故時の年齢二七歳をもとに、平成二年の二五歳から二九歳の全労働者の平均賃金(賃金センサスによる)である年間三五七万三二〇〇円をもとに、三九六日間の休業をしたことによる損害を請求しているが、原告上田は、本件事故当時就職しており、収入を得ていたのであるから、右実収入を基準に算定すべきである。

原告上田の本件事故当時の収入(年間二八五万一二〇〇円)をもとに、休業日数三八七日(平成二年五月一日から同三年五月二二日まで)の休業損害が金三〇二万三〇五三円とも主張している(一九九二年九月二一日付け準備書面)が、右のとおり認定することができる(甲第六二号証)。

<9> 傷害慰謝料 金二七一万円(金二九八万円)

本件事故による傷害のために、平成二年から同三年にかけて約一三か月間入院したことによる慰謝料としては、金二七一万円が相当である。

<10> 後遺障害逸失利益 金六七四四万〇八三七円

(金七四九三万〇〇〇四円)

原告上田は、本件事故により労働能力を一〇〇パーセント喪失した(甲第一号証、第七二号証)。

原告上田は、症状固定時の年齢二九歳から三八年間就労可能であるとして、平成二年の二五歳ないし二九歳の全労働者の平均賃金(賃金センサスによる)年開三五七万三二〇〇円をもとに、就労可能年数三八年の新ホフマン係数二〇・九七を乗じた金額を請求している。

また、原告上田は、現実の収入を将来の昇級分も考慮して計算したものとして金七七〇九万八五三九円との主張もしている(一九九二年九月二一日付け準備書面)し、さらに、原告上田が四年生大学を卒業していることから、平成二年の女子大卒の全年齢平均の賃金センサス(年収三八三万六八〇〇円)を用いて、就労可能年数のライプニッツ係数一六・八六八を乗じた金額六四七一万九一四二円(一九九二年一一月九日付け準備書面)との主張もしている。

原告上田は、就労可能期間において女子の大卒平均賃金を得られる蓋然性があるから、症状固定時である平成三年の女子大卒の全年齢平均賃金である年収三九九万八二〇〇円を基礎収入とし、症状固定時の二九歳からの就労可能年数三八年のライプニッツ係数(年五パーセント)一六・八六七八を乗じると六七四四万〇八三七円となる。

<11> 後遺障害慰謝料 金二四〇〇万円

(原告の請求どおり)

原告上田は、二九歳という未だ若いと言って差し支えない時期に、四肢完全麻痺、膀胱直腸障害等で、日常生活全般にわたり介護を要し、脳の機能も回復しつつあるとはいうものの未だ相当制限されており、極めて重篤な後遺障害を負ったものと認められる(甲第一号証、原告高子)。原告上田がこのような後遺障害を負ったことに対する慰謝料としては、金二四〇〇万円をもって相当と認める。

<12> 後遺障害用介護器材等費用 金四五〇万三九七二円

(金五一八万一五〇六円)

原告は、別表三のとおり請求しているが、しかし、別表三に掲げられている物の中で、石油ファンヒーター、エアコン、石油タンク、電気毛布、カラーテレビ、ビデオ、CDラジカセは、介護のための器材であると認めることは困難であり、この点の特段の立証もないから、本件による損害とは認められない。

したがって、認容額は四五〇万三九七二円となる。

<13> 将来の介護器具等交換費用 金五九六万六九一八円

(金一〇四三万五四九七円)

原告上田は、介護器具の交換のために必要な費用として、車椅子等の耐用年数が四年のものが合計六六万五六九九円、暖房器具等の耐用年数が六年のものは合計一七〇万七九〇四円と必要となる(いずれも自己負担金額、別表三参照)として、新ホフマン係数を用いて金一〇四三万五四九七円を請求している。

症状固定時二九歳の原告上田が、平均余命の八二歳までの五三年間に、耐用年数が四年のものは一三回、六年のものは八回買換えが必要となる。

この点、被告は、耐用年数以上使用に耐えるはずであると主張してるが、いずれも原告上田が毎日のように使用することが予想されるから、本来の耐用年数どおりの買換えが必要であると考えるべきである。

耐用年数六年のもののうち、前項で指摘した物を除外する必要があるから、そのための費用(自己負担金額)は一一四万一二二〇円である。

ライプニッツ係数を用いて算定すると、

四年の耐用年数の物

六六万五六九九円×四・二七二五(四年おきの五二年までのライプニッツ係数(現価)の和)=二八四万四一九八円

六年の耐用年数の物

一一四万一二二〇円×二・七三六三(六年おきの五二年までのライプニッツ係数(現価)の和)=三一二万二七二〇円

合計 金五九六万六九一八円

<14> 介護料 金一五五万三〇〇〇円

(金二〇五万三〇〇〇円)

原告上田は、症状固定後もリハビリのために入院を続け、平成四年一月三一日に退院した後も、後遺障害は重篤で、母親が体位交換や泌尿器の管理など昼夜分かたぬ介護を行ってきたことが認められる(原告高子)。

介護内容と介護時間に照らせば、介護料としては、症状固定後退院までの二五四日間は一日当たり四五〇〇円、その後本訴状提出日である平成四年四月二二日までの八二日間は一日五〇〇〇円を下ることはないと認められるから、両者を合算して金一五五万三〇〇〇円となる。

<15> 将来の介護料 金六五四三万五〇一〇円

(金一億四一六五万三二一五円)

この点に関する原告上田の主張は以下のとおりである。

母親による介護は、母親の疲労が著しいことから訴状提出日から三年間までしかできず、その後は職業的介護者に頼らざるを得ない。その場合、膀胱洗浄等の泌尿器管理ができる程度の専門的知識・技能を有するものでなければならず、昼夜分かたぬ介護が必要であるから二交替制としなければならない。

職業的介護者の介護費用は一人一万円を下ることはなく、一日約五〇〇〇円の公的補助を受けるとしても、一日一万五〇〇〇円の介護料が必要となる。

母親による介護の三年間は一日当たり八〇〇〇円、職業的介護者の介護を要する残り四九年は一日一万五〇〇〇円として、それぞれ新ホフマン係数を用いて現価を求めて合算すると、合計一億四一六五万三二一五円となる。

これに対し被告らは、原告上田は現状において、一週間に四日公的扶助による介護を受けているから、これを前提に介護費用を算定すべきであり、将来分についても、損害の公平な負担の理念から見て、公的扶助分を控除すべきであると主張している。

本来、公的扶助と損害賠償は異なる理念に基づくものであり、公的な扶助があるからといって、加害者がその分の介護費用の支払いを免れるのは相当ではない(費用の支弁者が、身体障害者の第三者に対する損害賠償請求権を代位するということは予定されていない。)し、実質的に考えても公的扶助が将来にわたって確実に受けられる保障はなく、これを考慮した結果被害者に不測の打撃を与えることも懸念される。被告らの右主張は採用できない。

そこで、具体的に介護費用を算定する。

たしかに、原告上田の介護は、介護内容及び介護時開からみて相当大変であろう(原告高子、甲第七七号証、第七九号証等)。したがって、原告高子の生存中ずっと原告上田の介護ができるものと考えることは非現実的であり、原告上田の介護のための労力は一般の就労と比して決して劣らないと考えられる。すなわち、原告上田の母親として原告高子が六七歳まではその介護を担当できるものと認めるのが相当であり、介護内容等を考慮すると、介護費用としては一日当たり六〇〇〇円と考えるべきである。

訴状提出時の原告高子の年齢は五八歳であり、原告上田の年齢は三〇歳である。原告上田の平均余命は、その時点で五三年である(平成四年の簡易生命表)が、原告高子の六七歳までの九年間は原告高子による介護費用として、

六〇〇〇円×三六五×七・一〇七八=一五五六万六〇八二円

原告高子による介護が望めなくなった後は、職業的付添人に依頼せざるを得ない。なぜなら、原告上田の肉親としては両親と兄がいる(原告高子)が、父は昭和二年生まれで母である原告高子よりも高齢で介護を期待することはできず、兄に介護を期待することも困難である(原告高子)し、介護内容は生活全般に及び、特に膀胱の洗浄やカテーテル挿入口の消毒などは、家政婦ではできず看護の素養のある者の介護がどうしても必要となるからである。

職業的付添人が必要となる場合は、実費分を全額損害として認めるべきである。甲第七四号証(厚生省看護の給付の取扱いと付添い看護料の設定について)によれば、原告上田が該当すると思われる看護の基準として、一人付看護で、看護婦の場合、基本給九〇四〇円、泊込給で一万三二七〇円、准看護婦で基本給七六八〇円、泊込給一万一二八〇円であり、二人付看護だと、看護婦で基本給七〇三〇円、泊込給一万三三〇円、准看護婦で基本給五九七〇円、泊込給(看護婦)八七六〇円となっている(ただし、右文書の内容から見て、昭和六一年一一月以降の基準であることは明らかであるが、この基準で現在も運用されているかは明らかではない。)。原告らは、二人の介護者が必要だと主張しているが、右書証によれば、原告上田の該当すると思われる承認要件においては、二人付看護が原則形態とされている。また、介護のような人の手によることが原則として必要な労働は、今後も、その対価が社会的に見て低額化するということは考え難いであろう。

以上によれば、職業的付添人による介護のための費用は、原告が公的補助を受ける分を控除して請求している点を考慮しても、一日あたり少なくとも金一万二〇〇〇円を下回ることはないというべきである。

したがって、そのための費用は、

一万二〇〇〇円×三六五×(一八・四九三四(五三年のライプニッツ係数)-七・一〇七八(九年のライプニッツ係数)=四九八六万八九二八円

よって、介護費用としては合計金六五四三万五〇一〇円となる。

<16> 家屋改修費用 金一二一二万九七一〇円

(原告の請求どおり)

原告上田は、重い後遺障害を負った原告上田が自宅で生活することを考えれば、家屋の改修が当然必要であったとして、その改修費用一二一二万九七一〇円を請求している(一九九二年九月二一日付け準備書面で変更された金額である。)。

甲第五三号証ないし第五六号証、第七五号証及び原告高子の供述によれば、原告の請求額は、介護の実情をもふまえ、原告上田が重度の障害を抱えながら人間として生活するための必要な設備を整えるために必要な改修であったとして、全額損害として認めることができる。

<17> 物損 金八万円(金二五万円)

原告上田が事故当時乗車していた被害車両が二〇万円、着用していたヘルメットが四万円、ジャンパーが一万円であるとして、合計二五万円を請求しているが、甲第五八号証等を考慮すれば、被害車両の時価相当額として金八万円を認めることができ、その余の損害額を認定するに適切な証拠がない。

<18> 過失相殺後の損害小計 金六七〇五万〇〇一三円

以上認定の損害額の合計額は、一億九一五七万一四六六円であるが、前述のとおり、六五パーセントの過失相殺をする必要があるから、右相殺後の金額は、六七〇五万〇〇一三円となる。

<19> 控除後の金額 金六二五五万九三一七円

原告は、自ら四四九万〇六九六円の損害のてん補を受けたとしてこれを控除し、被告もことさらこれを争っていないから、右金額を控除すると六二五五万九三一七円となる。

<20> 弁護士費用 金六五〇万円(金一〇〇〇万円)

原告上田が、本件訴訟の追行を原告代理人らに委任したことは当裁判所に顕著な事実であり、本件事案の内容、認容額、審理経過等を総合勘案して、被告に賠償を求められる弁護士費川としては六五〇万円が相当である。

<21> 認容額

以上の次第で、原告上田の請求は、被告野坂道子に対しては金六九〇五万九三一七円及びこれに対する遅延損害金を求める限度で、被告野坂末子に対しては、自賠法三条による責任であるから、<17>の物損分(八万円)を六五パーセント過失相殺した金二万八〇〇〇円については責任を負わないから、金六九〇三万一三一七円及びこれに対する遅延損害金を求める限度で理由がある。

2  原告高子

<1> 慰謝料 金一〇〇万円(金五〇〇万円)

原告高子は、原告上田の母親であるところ、娘の原告上田が終生介護を要するような重篤な後遺障害を被ったことで、娘の死に比肩するような精神的苦痛を受け、これを金銭に換算すれば五〇〇万円を下ることはないと主張している。

原告高子が原告上田のこのような重度障害を負ったことに関して大きな精神的な衝撃を受けたことは容易に推察でき、また、原告高子が原告上田の介護の責任を相当程度負わなければならないという点からの精神的な苦痛も考えられるところではあり、原告上田の慰謝料とは別に、原告高子固有の慰謝料として、事案の内容等をも勘案して一〇〇万円の慰謝料を認めるのが相当である。なお、原告高子の慰謝料算定にあたり、事案の内容をも考慮しているので、過失相殺の対象とはしない。

<2> 弁護士費用 金一〇万円(金五〇万円)

原告高子が本件訴訟を原告代理人らに本件訴訟の追行を委任したことは当裁判所に顕著な事実であり、本件事案の内容、認容額、審理経過に照らし、賠償を求めることができる弁護士費用は一〇万円と認める。

<3> 原告高子の請求は、被告両名に対し、金一一〇万円及びこれに対する遅延損害金を求める限度で理由がある。

第四結論

以上のとおりであるから、主文のとおり判決する。

(裁判官 村山浩昭)

別表 〔略〕

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例